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オープンしなけん |八潮団地の外部空間 見学ツアー

品川区に建つ魅力的な建築物をめぐる企画『オープンしなけん』にてナビゲーターを務めました。担当建物は23区内屈指の名団地、八潮パークタウン。晩秋薫る八潮パークタウンを散策しながら、その心地よさを作り上げた1980年代公団の設計手法を紐解いていきました。

・依頼者:品川区
・場所:八潮パークタウン
・期間:2020年11月28日
参考|オープンしなけん「八潮団地の外部空間」レポート
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吉永はなぜ建築家を志したか?

1) 子どものころ
控えめな目立ちたがり屋。恥ずかしがり屋でおしゃべりは下手、運動神経は鈍いときているので、絵を描いたり物をつくって人をびっくりさせることで存在を主張しようとしていました。その性格は今でも続いているようです。

2) 小中高等学校のころ
父が土木の現場監督をつとめていたこともあり、小学校の卒業文集で将来なりたいものとして書いたのは「(建築の)設計士」。しかし高校生のときは建築と考古学で将来の進路を迷いました。迷った末、建築の道を選びましたが今の自分を見ると正解だったと思っています。また、この二つの間で迷ったのには大きな理由があったことに、後になって気がつくことになります。

3) 大学、大学院のころ
高校卒業後大阪工業大学建築学科に入学。さらに4年の勉強ではあき足らず卒業後、東京工業大学 坂本一成研究室に、研究生・院生として在籍。研究と設計漬けの日々を送りました。

同校在籍中に熊本市営団地の設計を手伝いました。団地の建て替えという社会的なプロジェクトに長期に渡って取り組む中で、建築が実社会の中でどのように出来上がっていくかを目の当たりにしました。研究室の中だけでは学べないことを体得できたことは、大きな糧となりました。

4) 設計事務所に勤務していたころ
同校卒業後、長谷川逸子建築計画工房に就職。新潟市民芸術会館などを手掛けました。文化施設を手がける中で、使う人のことを考えて設計することの意味、そして使う人に楽しい使い方を提案できる設計をすることの魅力を学びました。

5) 30歳、体を壊したころ
30歳のとき、体を壊して同事務所を退社、帰阪。健康はすべての基礎だということを実感。それまで全く関心がなかった、シックハウス対策や自然建材に興味を持つようになりました。

療養中に考古学者を主人公にした漫画「マスターキートン」を読んで、建築と考古学は似ているということに気がつきました。建築は「くらし」から「かたち」を考える、考古学は「かたち」からどんな「くらし」をしていたかを考える仕事。つまり自分は「くらし」と「かたち」との橋渡しをする仕事をしたかったのです。

6) 吉永建築デザインスタジオを開設したころ
退社直後の1998年、仕事のあてはないけどとりあえずつくっておけ!と吉永建築デザインスタジオを事務所登録。ちょうど親戚や友人などが建て替えを考えている時期に重なり、ありがたいことに順調な滑り出しとなりました。

最初は高槻のアパートの一室でSOHOとしてスタートしましたが、一日部屋にこもりっぱなしの生活に耐え切れなくなり、住居と事務所を分けることに。どうせならば環境がいいところがいいと思い、京都に事務所を構えました。古今の建築、京都の独特の雰囲気、建築家の友人たちとのふれあいで多くのものを得た時期です。

7) 現在
事務所5年目を過ぎたところで地元である高槻に貢献したいと思うようになり、2004年高槻に事務所を移して今に至る。地元の工務店や設計事務所や友人たちと協力しながら高槻を面白くすることを考え中。

8) 将来への展望
最近では設計だけでは飽き足らず、京町家や団地の再活用の提案を行ったり、建築の魅力を一般の方々に伝えるイベントの企画などを行っています。設計、イベント企画、教育などさまざまな場面で、建築的発想による社会貢献をしたいと考えています。

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